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【本音】地銀・信用金庫の仕事なんてやっていられない・しんどい・疲れたと思う時は?

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地方銀行や信用金庫で働いていると理不尽なことがたくさんあります。なんでこんなことで自分が怒られなくてはいけないんだと私も何回思ったのかわかりません。

ノルマも多くて仕事量も多いし割に合わないと感じている方も多いはず。今回は銀行や信用金庫で勤務している方の本音を紹介させていただきます。

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目次

地方銀行社員の本音

支店の窓口の仕事は毎日同じことの繰り返し

私は地方銀行に勤める38歳の女性です。今は支店の窓口を中心に融資なども対応しています。支店の窓口で仕事をするようになって3年です。

支店の窓口で仕事をする前は総務と現金センターという現金が回収されてくる部署で仕事をしました。

総務や現金センターは銀行にらしい仕事という感じではなく、総務は本当に裏方の仕事という感じで、現金センターは流れ作業という感じでした。

毎日同じことの繰り返しでやってられない

総務や現金センターでの仕事はしんどいや疲れたと思ったことはないですが、毎日同じことの繰り返しで飽きてしまうと思うことはありました。

それでも現金センターでは間違いが許されない部署だったので、集中力がなくなってしまうことが辛かったです。

支店に行って仕事をするようになってからは覚えることも多く、日によって混む日があるので、しんどい、疲れた、辞めたいと、思うことは多くあります。

地方銀行で頻繁に来るお客様は年齢を重ねた人か会社の用で来ている方ばかりです。年齢を重ねた方は何度も同じ用事で来たり、ついさっき来たばかりという方が再び来店する方が多く、何度も同じことを淡々と伝えなければならなくて疲れるなと思います。

また、お客様が混む日があるというのは銀行では当たり前のことなのに、混み合ってくるとイライラする役席がいるので、お客様だけでなくそちらにも気を使い疲れるなと思います。

また、どうして遅いのだと役席に呼ばれるとやってられないと思ってしまいます。

やってられないと思ったときは気分転換をすることが大切

総務や現金センターで飽きてしまったと思った時には外で気分転換するようにしていました

特に現金センターは間違いが許されない場所だったので集中力がなくなってしまわないようにしていました。

支店に行ってからは、メンタルをやられてしまうことが多くあるので、いろいろなことを気にしないようにして仕事をする様にしています。

特に理不尽なクレームを言ってくる年配の方が来た時には帰った後にわざとトイレに行くようにして、そこで気持ちを切り替えるようにしています

また、支店で役席から嫌な対応をされた時には同僚の方に言ってストレスを発散しています。

特にひどいなと思って耐えられない時には半年に一度行われている人事部の面談の時に伝えるようにしています。

直接伝えるのは角が立つし、人事部に伝えておくと時間はかかりますが対応してくれる場合がほとんどだからです。基本的には自分で気分転換やストレス発散をしてうまく対応するようにしています。

支店長によって方針が変わるのがやってられない

私は近畿地方に本店を置く地方銀行に勤務しております。勤続年数は今年で15年目になります。

地元県内の営業店で2店舗勤務した後、大阪府内の店舗で法人営業を経験し、現在は地元県の店舗に人事異動となり、現在4店舗目の勤務をしています。

地元県内では、小規模事業者への事業性融資、個人顧客への預かり資産の推進をメインで行い、大阪府内の店舗では、法人顧客への融資や、コンサルティング営業を行っておりました。

パワハラ支店長のせいで土日も休んだ気になれなかった

大阪府内の店舗で勤務をしていた時ですが、当時の支店長がとても厳しい方で、毎日の様に営業成績について詰められていました。

本当に精神的におかしくなるのではないかと思うくらい、毎日毎日がとてもつらいものでした。肉体的にもしんどく、精神的にもしんどい日々であったと思います。

私は何とか耐えることができましたが、私の後輩は耐えきることが出来ず退職しました。いわゆるパワーハラスメントであったと思います。

融資残高が当初ノルマを達成することはもちろんのこと、毎月月末の目標設定もあり、計画比で前倒しのノルマ達成はとてもとても厳しく、しんどい思いをしました。

家に帰っても、よく眠ることが出来ず、仕事中も土日の休みの日も常に仕事のことを考えている状況で休めることがなかったことを今でもよく覚えています。

ただ、その厳しい支店長は仕事が終わって支店を出たら、仕事の話は一切せず、いつも笑顔で私をはじめ、他の部下に対して接していました。何とか耐えられたと思います。

気持ちの切り替えをすることで乗り越えることができた

私にとって一番つらくしんどい大阪時代で、しんどく、精神的にも肉体的にも追い詰められましたが、当時の直属の上司、同僚、後輩が共に乗り越えようと必死で頑張っており、切磋琢磨できたことが何とか乗り切れた要因だと思います。

本当につらい日々でしたが毎日の様に飲みに行き、プライベートでもゴルフに行ったりしてコミュニケーションを密に取り、強い団結力となり、絆ができたことがよかったと思います。

自身が出来ていない項目は自分以外の誰かが、自分以外の誰かが出来ていない項目は自分が、と皆で支え合えたことは、つらくしんどい日々を乗り越えられたんだと思っています。

その時の経験があったから、現在では多少のことには動じず、物事に当たれるようになったと思っています。

つらいことでも乗り切れない壁はないと言い聞かせて、取り組むことがとても大切だと思います。

後はなるべくしんどいことを引きずらない様に常に切り替えること、リフレッシュすることが大切だと思います。

親会社のいいなりになっていてやってられない

私は現在36歳で勤続年数15年目の総合職勤務です。仕事内容は主に個人顧客への投資信託・定期・保険の勧誘から中小・零細企業への融資案件と稟議書の作成を主に行なってます。

近年は合併を繰り返したこともあってか方針転換が多い為戸惑うことも多いながらも給与は安定している感はあります。

銀行の運営方針がころころ変わる

先の説明の通り、グループ企業の傘下に入っている関係で方針は基本的に親会社の言いなりになっている感はどうしてもあります。

入社当時は銀行独自の経営スタイルがあり、年度計画やグループ目標も明確となっていた為、営業活動も長期と中期に基づいた計画を立てやすかったです。

しかし、近年は親会社の業績に左右されることも多く、短期間で計画の修正や営業活動の再調整を余儀なくされることが多くなり、モチベーションの維持が難しくなることが多くなりました。

例えば投資信託の指定強化商品の計画を半年期間で達成する為に具体的な行動計画を月別に立てながら行なっていたとしても、2ヶ月目で親会社指定の強化商品に急遽変更するといった方針転換が頻繁にあり、また一から計画の作り直しが余儀なくされます。

商品を勧めた顧客側からすると、前回勧めた商品から急に新しい商品への勧誘が行われたりする為、混乱をきたすこともあります。

グループ傘下の企業である以上は致し方ない部分は理解できますが、方針がコロコロ転換されると腰を据えた営業活動は難しくなります。

変化を受け入れて柔軟に対応することを心掛けることが重要

企業の合併・買収に関する情報と実際に職場で働く社員の方の体験談などを聞いたり調べたりして、傘下で働く社員の振る舞い方などを参考にしました。

傘下企業である以上は親会社の方針によって計画や活動内容が転換されるというのは必然的なことだと思ったため、そこに対してただ不満を言うだけではなくて、そのような環境でどういったモチベーションで仕事に臨めばいいのか。

これに関してはカウンセリングや他社の方の体験談を聞くなどして情報収拾をおこないました。

変化の激しい時代に対応するためには日々会社も変化していく必要があることなどが理解でき、長期計画も大切だが3〜5年後のことなどもう分からない時代になっていると認識することができました。

その為にも今自分ができることは目の前に与えられた課題に対して、成果を上げられる行動目標を立てることと営業活動をおこなうことに特化して考えを整理できました。

今では変化していく職場環境に順応しながら仕事に臨めています。

金利が低いのに定期預金ノルマが多くてやってられない

現在、私は埼玉県の地方銀行で働いています。高校卒業の18歳から入社しました。勤続年数は5年で、6年目になります。

業務内容は主に預金関係、保険関係など様々な業務をしています。駅に近いこともあり利用者は多いと思います。お給料日や年金の日などが比較的混む傾向があります。

定期預金の金利は低いのにお願いするのが大変

預金関係ですと、定期預金などの満期を迎える方に継続して頂くお願いをするのがすごくしんどいなと思いました。

利息があまりつかないこのご時世に、長い間お金を預けて頂いてやっと満期を迎える方に、「また定期預金を預けて頂けませんか?」などの声かけをしなければならないこと、キャンペーンをやってる時だとしても、そのプレゼントがティッシュやドレッシングなどほんとにちょっとした粗品なため、あまり魅力的に感じないなと思いながら窓口に来ていただいたお客さまにお声がけをすることがあまり好きではありません。

その他に手が空いた時間には、パソコンでデータを見てリストを印刷して片っ端から電話をかけていくというようなことをしていました。

1人でも1件でも多くお金を預けていただけるような工夫や努力が必要な業務です。定期預金だけではなく投資信託なども最近は取り扱うようになったので、年齢が若い方には積み立てNISAなどのご提案をしたり、お客さまに合ったものをご提案するのも、知識が必要なためすごく疲れます。

お客様一人一人に対して丁寧に対応することで定期預金の継続率アップ

定期預金の満期に関しては、窓口に手続きに来ていただいたお客さまにはまず、預けていただいた感謝の言葉を伝えるようにしました。

そうするとだいたいのお客様は嬉しい気持ちになってくださるので、そこで継続のお声がけをします。

「また同じように貯金を置いておきませんか?使わなければ最長で○年置いておけるし、使う用ができたら必要な分だけ払い戻すことができますよ」など、お客さまに伝わりやすいように分かりやすい表現をしながらお声がけの工夫をしています。

その際に、キャンペーン期間中でしたら、プレゼントも差し上げたり、キャンペーン期間中でなくても粗品をお渡ししたりしています。

他の銀行じゃなくて当行にお金を預けてよかったなと思ってもらえるような心がけをしていますので、手空き時間の電話かけやDM発送も一件一件丁寧に対応するようにしています。

嫌だなーと思いながら対応するより、感謝の気持ちを持ちながら対応することで、気持ちの変化がありました。

自分よりできない男性行員の給料が高いのがやってられない

関東地方の地方銀行に勤務している30代の女性です。新卒から勤務し、勤続12年になります。

初任店で1年半ほどOJTを行い、その後異動、約7年異動先の支店で勤務した後、三か店目の支店に異動、今に至ります。

年次的には一般社員から一歩上の課長代理に昇格してもおかしくないのですが、上司に「昇格したくない」意向を強く伝えており、一般社員として勤務しています。

男尊女卑的な職場環境でやってられない

今の職場がモラルハザードを起こしており、かつかなりの男尊女卑的な、「正直やってられない状態」になっています。

全行員に目標と言うノルマが課されているのですが、自分より収入が1.2倍くらい高い男性と自分のノルマがほとんど変わりません。

にもかかわらず、その男性から数字にならない事務作業や契約作業を振られ、かつ契約作業の際に獲得したクロスセルの成果はなぜかその男性でカウントされ、自分には何も成果が残りません。

自分はまだましですが、同僚の女性はもっとひどいことになっており、自分の隣の席の女性はその傾向があまりに顕著な男性のフォローをさせられていました。

半年間ほぼ一度も休憩をとれないまま遅くまで働かされ、あまりのストレスで器官に蕁麻疹が発生、呼吸困難になり夜間病院に救急搬送され、その後休息、職場を離れました。

文字通り「職場に殺されかけた」人が出たのに、職場のおかしな状況は変わらず、年々業務量もノルマも増加する一方で給与は減額となり、やってられない状況が続いています。

嫌なことははっきりと伝えることで状況は改善された

「やってられない」と思う自分にとっての一番の原因は、「給与だけ高い男性社員のフォローをさせられる」ということだと思いました。

ですので、とにかく自分が「誰にも文句を言われない成果をあげる」ことを肝に銘じて働くようにしました。

またその際には自分のすべての仕事は絶対に人にお願いすることなく自分でやりきることを徹底しました。

男性に何かを頼まれても「私はあなたが振った仕事は自分でやっている。与えられた時間は私もあなたも同じなのだから、自分でやってください」と、職場の空気が悪くなるようなことがあろうとも、相手と険悪になろうとも、絶対に突っぱねるように徹底することで、無駄な仕事を振られることがなくなりました

私生活では貯金倹約を徹底し、着々と資産を蓄えることで「いつやめてもよい」という状況を作り、それを職場でもちょこちょこ出すようにするようにしました。

すると上司も「こいつは仕事はできるけど、理不尽なことを強いたらすぐにやめてしまうだろうから、気を付けておこう」という考え方になったらしく、自分の仕事に口を出すこともなくなったので多少は「やってられない」状態は改善されたと思います。

金融商品も販売させられてやってられない

現在地方銀行に勤めて3カ月になります。高校卒業時に他の地方銀行に約5年勤め、その後メーカーの営業事務に約6年勤めました。

結婚を機に県外に引っ越す必要があったため、メーカーを退職し、現在住んでいる県の地方銀行に今年から勤めています。経験を生かし、窓口業務等だけでなく、主に融資関係の仕事をしています。

仕事内容は融資だけのはずが金融商品の販売もさせられることに

私がやってられないと思ったのは仕事が融資のみのはずが、金融商品を販売するように言われたことです。転職をする時に、求人内容が融資のみだったので面接を受けました。

前の地方銀行では主に金融商品の販売担当だったのですが、ノルマがキツく、売買のタイミングじゃなくても強引に乗り換えさせたりと罪悪感があり退職したため、融資以外の仕事はしたくありませんでした。

そのため、面接時にも他の仕事をしなくていいのか確認をしたところ、融資専門で働いてほしいとのことだったので就職しました。

実際に働いてみると配属された店舗の投資信託や保険などの金融商品の売上が悪く、私にも協力して欲しいと言われました。

金融商品を販売する時には資格が必要で、その資格は退職時に無効化されるため改めて取得する必要があります。

数年のブランクがあるため一から勉強すること、資格を取得してしまうと前に退職した理由である金融商品の販売をしなければいけないのかと思うととても憂鬱でした。

また、家事と仕事をしながらの資格勉強のため、プライベートの時間を削って勉強をするのも疲れました。

若手の指導役となり自分はフォローに回ることで融資の仕事に専念

融資担当で入っているため、金融商品の売上改善などは期待してほしくないと伝えました。
資格は持っていたとはいえ、10年近く前に取ったきりなので覚えておらず、一発で合格する自信がなかったこと、お客様に強引な提案はしたくなかったからです。

その代わりに新入行員や知識が浅い行員に金融商品の勉強会をするようにしました。私一人が金融商品の販売に加わったくらいでは改善出来ると思わなかったので、店舗の行員がなるべくしっかりとした知識を身に付け、お客様に正しい提案を出来るようになる必要があると思ったからです。

投資信託や保険は20歳の頃からプライベートでもしていたのであまりブランクはないと思い、上司と各商品の内容を確認をしつつ勉強会を行っています。

そのおかげで自分は融資の仕事に少し専念出来るようになりました。資格勉強もゆっくりでいいと思うようになり、平日はあまり勉強せず、休日に数時間行い、1年以内の合格を目指しています。

信用金庫社員の本音

金融商品の販売を融資係なのにさせられてやってられない

私は大阪にある信用金庫にて勤務しています。大学卒業し新卒採用され、25年以上働いています。営業店での仕事ばかりで営業や融資など様々な事をしています。

特に融資は長くて、20年以上携わっています。また、管理職として、部下指導や支店運営にも携わっております。毎日忙しくて、なかなか、自分自身の時間が持てません。そこがしんどいところでもあります。

融資係に金融商品の販売をさせるってどうなの?

自己紹介で述べたとおり、主に融資の仕事をしていますが、決算前などは生命保険や投資信託などのノルマが課せられ、取引先にお願いして無理に入っていただいてます。

経営者が古い考えで、いまだに外交員に、預金、融資、保険、投資信託など、全ての項目にノルマをかけるため、ノルマが達成できなければ、管理職はボーナスをカット、人事考課もダウンされてしまいます。

本来ならお客様にとって、メリットのある金融支援や事業支援に融資課は動くべきなのに、何をしてるのかわからなくやります。

また、管理者は残業もつかないため、深夜手当がつく10時まえまで働き、土日も出ることが多いです。

これだけやっても評価を受けるのは経営者の一派と言われる人達だけで、一派でない人はなかなか支店長になれず、50歳を過ぎてやっとなれる状態です。

また、本部も接客優先ではなく、机上の話しばかりで話になりません。融資審査も型通りしか見ておらず、お客様、人はまったく見てません。

取引先にお願いすることでノルマ達成

働いていてやってられないことばかりですが、そればかり考えていてもはじまらないので、あいかわらず、日々、ノルマ達成まで頑張っています。

部下の人達と一緒に一つ一つの目標を達成し、喜びを分かち合うことに働く意義を見出しています。

経営陣や本部組織の考えが変わる事は当面ないと思うので、営業店では精一杯頑張るしか方法はありません。

ただ、部下だけではなく、多くのお客様が取引して良かったと言っていただけることも、わたしにとっては喜びです。

ノルマの為に無理をお願いすることは心苦しいですが、代わりにお客様にとってメリットのある提案をどんどんしています。

最近は不景気で多くのお客様が困っていますが、一人一人、きっちりとお話しを聞いて、そのお客様にあった支援ができた時はとても嬉しいです。

これからも、一人一人のお客様を大切にして、対応していきたいと考えます。それが信用金庫だと思います。

業務量が多すぎてやってられない

かつて四年生大学卒業後、Uターン就職の形で隣の市の信用金庫に就職しました。地元の信用金庫でも試験を受け、最終面接まで行きましたが、勤務地があまりにも自宅付近になると働きにくいのではと思い、隣の範囲の信用金庫に決めました。

4年生大学卒業者は一年目は後方事務とテラー、2年目に出納、3年目からは営業職として外へ出ました。私は4年目に新店舗立ち上げに携わり、預金における全てを経験しました。

人手が足りずオーバーワークとなり職員はほとんど退社

新店舗立ち上げは、少数でこなした為付近住民への周知から始まり、テラー出納をやりつつ来店者が落ち着いたところで営業活動へ切り替えて帰店、まとめてまた明日に繋げる。

本店への粗品を送ってもらう発注から出納の、お店への資金繰りまで、華々しくオープンさせたにも関わらず、いくら少数先鋭を実験的にしているからといっても人が足りずしんどいと感じました。

ローラー活動は、地味な作業なのですがある程度の時間が必要なので走ったり自転車でも立ち漕ぎで、店に帰ってきても自分でそれらの処理をしてと一人でこなすものが多くて、中でも外でもと体力も精神的にも疲れました。

セールスは、その新店舗は人数一人当たり部門でトップでした。しかし、新店舗勤務になった職員は半数が辞めてしまいました。

私も、お昼ご飯も落ち着いて食べられず、中でも外でもお客さんに構う必要があり走り続けの日々に疲れ、やむなく退職しました。

本部はもう少し早く意見を聞いてくれたらせっかく少ない人数で一人一人の実力者が集まったお店だったのにもったいないと思います。

職場の雰囲気はよかったので頑張れた

先ほども記載したように、新店舗立ち上げは少数人数での実験的な立ち上げであり、最終的には預金から借入までそして営業部門も全ての職員が全て把握しこなせる店舗を目指していた為、とても忙しかったです。いい立地のため顧客が鰻登りでした。

精神的には忙しいとやりがいも感じて気持ちよさにも似た達成感もありました。しかし、毎日の肉体的疲労がつらかったです。

そんな時少ない職員同士で、シャッターが降りた後、お金を精査し終わった後にローラー活動準備や明日の戦略をたてながら好きなお菓子を買ってきて食べる!食べまくる!事をしていました。

そして入浴剤を試しまくり、疲れた足にはどれがいいか、皆で紹介し合っていました。夏でも温まる系のものが人気でした。

融資、借入投信の初期担当者は預金を担当している職員に向けた教育方法として、把握しにくいので歌にして教えようとして頑張ってくれていました。

なかなか実を結ばず家で勉強をしましたが、、雰囲気は疲れていましたが明るかったです。でも疲労していきました。

支店長が保守的だとやってられない

埼玉県にある青木信用金庫に勤め、4年目になります。業務としては事業性融資を中心とした外回りが業務になっています。

他支店に移動したことはありませんが、支店長以下役席の移動は多々経験しているので様々な形の支店運営があることを知っています。トップである支店長が変わることによって進む方向や進め方、180度違ったこともありました。

正当な評価をしてくれない上司のせいで融資ができない

記述したとおりに私は事業性融資を中心とした外回りを行なっております。事業性融資では消費者ローンと違い、経営者の創り上げたい会社を実現するために融資を利用します。

ですが、優良企業に対して信用金庫側のやりたいようにしか進めない。経営者を支える役目を見失ってしまった時期がありました。

まだ取引のない準新規先に対し自ら営業を行った結果、融資を受けたいと申込をいただきました。

ですが、申込会社は以前に他行にて事業再生資金のパワーアップ資金を利用した経験がありました。現在はパワーアップ資金も返済が完了し、売上利益共に順調に伸びている会社でした。

申込をもらい、意気揚々と支店に帰り、支店長に申込書を提出したところ、パワーアップ資金を使ってた企業は危険だから半分は自己資金で出せと押し返されました。

年間の返済金額に対しても充分なキャッシュフローを有しており、以前と比べれば別会社のように成長している企業に対し、正当な評価を与えられない、正当な融資をすることができなかったことがやっていられない体験です。

上司が代わったタイミングで融資を実行

上記のような状況に立たされ、必死に申込会社の事業性評価を並べました。利益率、取引先の安定性、固定費削減の姿勢、3年前に立てた事業計画を大幅に上方修正している事実、様々な要因からも申込会社の評価を受け入れてもらうことはできませんでした。

そのため、私は支店長が変わるまでは少額での融資で繋ぎ、支店長が変わってから経営者の要望に沿う提案を持っていこうと決意しました。申込金額は3分の1にし、金利も引き上げ、お付き合いのみをしてもらいました。

その後、1年も経たないうちに支店長が代わり、イケイケな支店長がきました。その際に私はすぐにお付き合い程度にしてしまった会社に飛んでいき、以前と同条件の融資を申し込みました。

一度金額の見直しを行った会社なのでイケイケな支店長も下調べは行っておりましたが、この会社はなぜ減額回答をしたのか問われた際には非常に嬉しかったことを覚えています。

一度取り下げ、タイミングを逃さずに対応したことにより、経営者からの信頼はさらに強いものとなりました。

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